怒涛のモノローグ五連発にお付き合いくださいましてありがとうございました。
イシトのその後はいくつか考えてるんですが、一番ハッピーエンドっぽいものをあげてみました。
(何故か今ちょっとふらふらするので、出来はひどいものなんですが)
最後の『Beyond The Sea』だけこっちに取って置こうと思います。
Celtic Womanです(笑)
あの後仲良しさんには補完っぽいメッセージをいただきまして。
こちらもモノローグっぽいメッセージで返させていただきました。
イシトのお友達は面白い方が多くて、正直卒業は本当に勿体なかったんですけど、やっぱりこのタイミングで卒業させてよかったんだと思いました。
というわけで五年間ありがとうございました。
12月中旬までは削除しませんので、卒業ロール等何かありましたらよろしくです。
からん、と乾いた音が辺りに響いた。
「ったあ……もっと手加減してよ。折れたらどうするのさ」
反射的に手首を押さえた少年が、恨めしげに男を見上げる。
男は思わず真顔で反論した。
「何を言う。今のお前に手心を加えれば、こちらがやられる」
「そっちこそよく言うよ。それこそ子供扱いのくせに」
痛みに顔を引きつらせつつ、少年は口元に笑みを浮かべた。
その身体がふわりと発光し、光の粒は痛めた手首を包んでゆく。
「……便利なものだな」
「おかげさまで」
ふう、と小さく溜め息をつき、少年は取り落とした木刀を拾い上げた。
「別に特訓してたわけでも何でもないけど。こうもあっさりやられると、ソレンティアでの日々は何だったんだと思えるね」
「謙遜するな。見違えるほど強くなった。……真面目に鍛錬を積んでいたようだな」
「あはは。まさかそんなわけないだろ」
即座に否定して、少年は何事もなかったかのように頭を下げる。
「ありがとうございました」
「待て」
踵を返したその背中を、男は呼び止める。
「何? そろそろバイトなんだけど」
「……まだアルバイトか。いい加減定職につく気はないのか?」
「そう言うけどさ、ここじゃ僕って結局高卒の外国人だろ? 日本語も完璧じゃないしさ。人間界じゃ魔法はそんなに受け入れられてないし、結局就職難なんだよね」
「またそんなことを……」
男が苦虫を噛み潰したような顔をすると、少年は首をすくめた。
「そう怒らないでよ。生活費はちゃんと納めてるし、色々勉強もしてる。時間を無駄に費やしてるつもりはないからさ。あと少しだけ」
「しかしだな……」
すると少年はふっと真顔になって再び頭を下げた。
「父さん、お願いします」
「…………」
男は何も言えなかった。
スローペースではあるが、少年はたしかに自分の道を模索しているのだ。あの灰色をそのまま絵にしたような人間だった彼が。……そして少年は彼の手元に戻ってきたのだ。応援こそすれ、邪魔などできるはずもない。
「……アルバイトでなく、たまには旅でもしてきたらどうだ」
「……ソレンティアくんだりまで行ったのに、まだ旅を勧めるかい?」
「そうではない。見知らぬ土地で見聞を広め、人を見ろ。恋の一つもして人間性を養えということだ」
すると少年はこともなげに呟いた。
「何だ。それならもうしてきたよ」
「は……」
「いつも結局はあんまり相手にされてなかったような気もするけど」
とんでもない答えに男は耳を疑った。
そんな親の心中を知ってか知らずか、少年はくつくつと忍び笑いをもらしている。
「そんなことより父さん。さっき言いかけたの、何さ」
「あ、ああ。実は……」
すると男が言いかけたその時、不意に道場の扉が音を立てて開いた。
「イシト!」
「こんなところにいたのか!」
「僕らに捜させるなんて、不遜にもほどがある!」
「……またかよ」
はっきりと少年の眉間に皺が寄る。
しかしそれには全く構わず、同じ顔をした三人は次々に少年に向けてまくしたてた。
「おいイシト、クーシーはどうしたんだ!」
「そうだ、今日は僕が散歩に連れていく日なんだぞ!」
「何を言う、今日は僕だろう!」
「うるさい! 今日は休みだ、僕は出かけるんだから!」
心底嫌そうに手を振って三人を追い返そうとする少年。
男はその様子を半分呆れながら見守っていた。
……何をやっても、どう取り持っても、決して相容れることのなかった三つ子と末弟。常に孤独で、息を潜めるように暮らしていた少年。
その彼が召喚した子犬のような獣に、なんと三つ子たちはあっさりと陥落。毎日のように召喚をねだり、子犬を可愛がるようになった。
子犬は深層心理で少年と繋がっているというから、どうやら少年もまんざらではないらしい。まるで笑い話だ。
「休むだと!? お前というやつは!」
「そうだ、クーシーが可哀想じゃないか!」
「散歩もさせてもらえないなんて!」
「サラウンドで騒ぐなあああ!」
しっかりと耳を塞いで少年は雄たけびを上げた。
男はその背中に声をかける。
「イシト。出かけるのか?」
「ん……ああ、うん」
「アルバイトではなかったのか?」
すると少年はにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。
「嘘」
男はあっけにとられた。そして続く言葉にはもっとあっけにとられた。
「友達が東京に来るんだ。だから駅まで迎えに行ってくるよ」
……友達。
「はっ、友達だって?」
「根暗で朴念仁のお前に友達!」
「見え透いた嘘はよせ!」
「ああもう、本当に友達の一人もいないお前らに言われたくないんだよ!」
「……今日、ソフィアが帰ってくる」
すると、それまでぎゃんぎゃんまくしたてていた子供たちがぴたりと止まった。
「……母さんが?」
「帰ってくる?」
「本当に?」
三つ子たちが次々に声を漏らす。
末弟だけがじっと黙っていたが、やがて小さく呟いた。
「驚いた。何十年ぶりだい? いや、初めてじゃないのかい、ソフィーがここに来るなんて」
「……イシト」
「ごめん父さん。でもそれはさすがにまだちょっと無理。ハードルが高すぎるよ」
そう呟いて、少年は道場から出て行こうとする。
男はすがる思いでその背中を呼び止めた。
「イシト。どうしてもか」
返事はない。が、少年の足は止まった。
しばしの沈黙の後、少年はぼそりと口にした。
「友達を……連れてきてもいい?」
「……いいとも」
「それなら善処するよ」
小さく、だが確かにそう呟いて少年は今度こそ出て行った。
「……はっ! 逃げた!」
「待てイシト!」
「クーシーは置いていけ!」
続いて三つ子が次々にばたばたと後を追う。
男は思わず笑みを浮かべた。
少年は、やっと歩き始めたばかりだ。
おしまい
裏切り者臭&フラグテイストが半端ないディープな奴と、そういうの皆無のライトな奴をご用意して、お好きな方を選んでいただいたんですが。
てっきりライトな方が選ばれると思いきや、ディープな方を採用してくださって。
というわけで、ライトな方をこちらにお蔵入りさせます。
イシトは武装神官(まあ要するに剣士)です。
金に汚いのは変わりません(笑)
四人兄弟の末っ子で上三人は三つ子ということを頭において読んでいただけると意味が通じるかと思います。
ちなみにディープな方は「もう一つの未来」というタイトルでイシトの日記にありますので、よろしければそちらもご覧ください。
『異端』がどうこういう辺りまでは同じです。
本編のRPG小説も、イシトの日記から飛べますのでよかったら読んでさしあげてください。超大作なんで。
イシトも沢山出していただいてます。ヤキモチ焼きの女王様っぽくてちょっと可愛いです(笑)
「突然だけど、金なくなった」
道中立ち寄った村に一軒だけあった粗末な食堂。朝食を取るべく、当然一同はそこに会する。
そして席につくなり、シクザールがそう言い放った。
「金なくなったって……えええ!? な、何で!?」
驚きのあまりか、グラッドが椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がる。
当のシクザールはというと、さも悔しそうな顔をして拳を握り締めている。
「それが、聞くも涙語るも涙の物語でなぁ。……フォーカードだったんだぜオレ! しかもAのフォーカード!」
「フォーカードって、博打かー!?」
「すげぇだろ? 普通勝てると思うだろ!? なのにあっちはストレートフラッシュ! おかしいよなぁ絶対!」
力説するシクザールをぼんやりと見つめ、イシトはぽつりと呟いた。
「おかしいのはお前の了見だ……」
「だ、旦那、待ってくだせえ! ここで乱闘したら宿の修繕代でもっと金かかりやす!」
途端にテーブルを踏み越えて斬りつけそうになった自分を、すんでのところでヤトが羽交い絞めにして止めてくれる。……それで少し落ち着いた。
幸運の一葉
「まったく、自分の金どころかパーティーの財産まで全部注ぎ込むなんて、一体どういう神経してんのさ!? ここの支払いどうするんだよ!」
「しょうがねぇだろ!? あそこで勝負止めたら男じゃねえよ!」
「負けた奴は皆そう言うんだよ! ああもう信じられない……!」
あんまりな事態に少なからず眩暈がして、イシトは机に肘を突いた。
叫びすぎて軽く酸欠になった頭で、ざっと計算してみる。
昨今珍しい後払いの宿だ、払いは貯まっている。どう考えても、日雇いの仕事で今日一日地道に働いたところで精算できる額ではなかった。
「ジェイさんもジェイさんだよ。いくらしばらく別行動するからって、こいつに財布預けることないのに……!」
「お、落ち着いてくだせえ。宿の人に聞こえたら事でさあ」
「なんか給料日前の夫婦喧嘩みてーだなー」
ヤトがしーっと人差し指を口元に当てつつ、コップの水を差し出してくる。
グラッドは驚いた割に事態の深刻さをわかっているのかいないのか、見当違いのことをのん気に呟いている。……イシトはあえて聞こえないふりをした。
「と、とにかく宿代はどうにか捻出して、早くここを発たないと。ずっといたら出費がかさむ一方だし」
「アルバイトかー? いいぞー、オレお役立ちだかんな!」
できれば飯つきの仕事がいいぞーと付け加えて、グラッドがにこにことしている。
イシトは頷くと、ヤトに向かって一つ頭を下げた。
「あと、ヤトさん。いざという時はよろしくお願いします」
「はい、任せておくんなせえ……っていや旦那、オレに何させる気ですの!?」
それにもあえて聞こえないふりをして、イシトは食堂を見渡した。
「それで、馬鹿ウサギ。君はどこへ行くつもりだい」
「ぎくっ」
肝心のシクザールはというと、いつの間にやらこっそりと席を立ち、今まさに食堂から消えようとしているところだった。
「い、いや~……ちょいと花摘みに」
「逃げるなーー! 自分が元凶のくせに! 真っ先に働け!」
「勘弁してくれよ! 昨日の酒がまだ残っててアタマ痛ぇんだって!」
「二日酔いかよ!?」
もう我慢がならないとばかりに、イシトはヤトがくれたコップをシクザールめがけて投げつけた。それはきれいに弧を描いてシクザールの頭にクリーンヒットした。……なんて駄目な大人なんだ、このろくでなし!
*****
シクザールは冒険者だが、その能力は平凡だとイシトは思っていた。ヤトのように特別器用でもなければ、グラッドのように戦闘に長けているわけでもない。
そんな彼の特技で今回すぐに役立つものがあるとすれば、薬草の目利きぐらいだろう。自分も多少の知識はあるが、こればかりは彼に遠く及ばない。
それを踏まえたうえで二人で向かった先は、村から少し離れた丘の裾に広がる草原だった。村の人間によれば、薬草の宝庫ということだ。貴重な薬草も少しはあるだろう。……一攫千金を狙うにはもうこれしかない。でなければ本当にヤトの『職業』に頼ることになる。
「うぁー。めんどくせー。つかれたー」
「しっかりしろ馬鹿ウサギ。まだ三十分も経ってないよ」
座り込んで薬草を物色するシクザールが早くも音を上げる。それを軽く叱咤して、イシトは辺りを見渡した。
「……それにしても、絶景だねえ」
空は青く穏やかに晴れ渡り、遠方の山々の頂はくっきりと白い。
青々とした絨毯にはシロツメクサが美しく咲き乱れ、その花を掠めて清冽な風がざあっと音を立てて吹き抜けていく。
「ってか、少年は何してんの? 働けって」
シクザールがぶつぶつと文句をこぼし、心地よい葉擦れの音色をぶち壊す。
イシトは苦笑した。
「僕は君の見張り兼護衛。一人じゃ君逃げ出すだろうし。それにここ、魔獣が出て結構危ないらしいんだ」
「今更逃げねぇよ。だいたい護衛ならグラッドでもいいじゃねぇか」
「何言ってるんだよ。彼と組んだら遊んじゃって、まともに仕事なんて……」
イシトの台詞は最後まで続かなかった。ぼやいていたシクザールの長い耳がぴくりと跳ねる。
「イシト、後ろ!」
すぐ後ろの茂みが不自然に大きく揺れる。シクザールがひきつった叫び声をあげる。
一拍おいて、茂みから大きな猪のような獣が勢いよく飛び出す。
その時にはイシトはもう剣を抜ききっていた。
剣先を下げて走り出す。
突進してきた猪の牙をぎりぎりでかわし、すれちがいながら切っ先を首のあたりに突き立てる。そして抜きざまに構え直し、一気に真っ向から斬り下げた。
どう、と音を立てて猪が倒れる。
「す、すげぇ……!」
あっという間の出来事に、シクザールが唸る。
イシトは軽く息を吐いて血糊を払った。
「これでわかっただろう。魔獣は僕が引き受けるから、君は君の仕事をしてください。ちなみに、次逃げ出そうとしたら精肉店に売り飛ばすからね」
「誰を!?」
目をむくシクザール。「オレおいしくないよ!?」とか「こんな善良なウサギを!」とかなんとか騒いでいる。……イシトはもちろん全て聞こえないふりをした。
*****
それからどれほどの時間が経っただろうか。
村を出たのは昼前だったはずが、今やすでに影が西へと伸び始めていた。
「さすがに疲れたな……」
軽く溜め息をつき、イシトは袖で額の汗を拭う。
魔獣は決して強くはない。おまけにシクザールの耳がことのほか良いせいで、先手を取るのは常にイシトの方だった。なかなかどうして、役に立つ能力だ。……おかげで魔獣退治は思っていたよりも随分と楽に済んでいる。
しかしそれでも、限界は来る。
「少し休憩するかい? 効率も落ちてきただろう」
遠くに座り込むシクザールに声をかける。しかし返事はなかった。
少々心配になってイシトは足を向ける。
シクザールは、心なしか顔色が悪かった。
「あれ……どうかした? 頭痛い?」
「どうもこうも……!」
やはりげっそりとしたシクザールは、絞り出すような声で吐き捨てる。
「こんなトコでずっと薬草取りって、どんな拷問だよ……っ!」
「え?」
いぶかしんだイシトは、改めて辺りを見渡した。
空は朝と同じように青く穏やかに晴れ渡り、遠方の山々の頂もくっきりと白い。
青々とした絨毯にはシロツメクサが美しく咲き乱れている。……そしてその上に転がる無数の魔獣の死骸と、じわじわと土に染み込んでいく血溜まり。その骸を掠めて血なまぐさい風がざあっと音を立てて吹き抜けていく。
「……何も変わらないと思うけど」
「待て待て待て! それ本気で言ってんのかいアンタ!?」
「少なくとも生えている薬草に何も変化はないよね。もう取り尽くしたのかい?」
「先客がいたみたいで、貴重なヤツなんかねえよ! だいたい、あんな魔獣の下敷きになって血と泥で潰れた薬草が売れるかー!」
一際大きな声で叫び、自棄になったシクザールがその身を草の上に投げ出す。
イシトは仕方なく自分もその隣に腰を降ろした。
用心のため、剣は鞘ごと腰から引き抜いて手元に置く。
「そうか。僕もそこまでは気が回らなかったよ。……困ったね」
空いた手で、傍らに転がった薬草籠を手繰り寄せる。
手に触れる草はどれもこれも、自分でも見たことのあるものばかりだった。これでは二束三文にしかならないだろう。
「あーもー、疲れた! 腹減ったー! 」
「子供かお前は……」
大の字になってじたばたと暴れるシクザール。すると、ふとその瞳が釘付けになった。
「な、何?」
物も言わずにシクザールは転がったままイシトの方に腕を伸ばす。
思わずイシトは逃げ腰になった。
シクザールはというと、イシトが座っていたすぐ手前の草を摘み取る。
「見なよ、イシト。ほら。四葉!」
「え?」
跳ね起きたシクザールの手に握られていたのは、薬草ではなくシロツメクサだった。……深緑の丸い葉が、一枚、二枚、三枚。そして四枚。
イシトは思わず呟いた。
「……シャムロック」
シクザールはというと、今までぼやいていたのも忘れてすっかり喜んでいる。
「おおー、ラッキー! オレ本物初めて見た!」
「そうなんだ」
「少年は知ってるかね! 四葉のシロツメクサを見つけると幸せになれるんだぜ!」
「知ってるよ」
はしゃぐシクザールを冷めた目で見やり、イシトはただ頷く。
「葉の一枚一枚に意味がある。信仰・希望・愛。そして幸運」
「へぇ、そうなんだ? 博識だねぇ」
「どうも」
気のない返事をして、イシトはぼんやりとシクザールの手元を見つめる。
知らず知らずのうちに、言葉は口をついて出た。
「僕は『異端』だと思うんだけどね」
イシトはそのまま目を伏せた。
シクザールがきょとんとして首をかしげているのがわかる。
イシトは自分の失言を悔いた。それなのに、不思議なことにそこで口をつぐむ気にはなれなかった。
「シャムロックは三位一体。一枚目の葉が信仰。二枚目が希望。三枚目は愛。それが完成した姿なのさ。……それなのに、四枚目があるというんだ。『幸運』の名を冠してね」
四葉だけではない。実際のシロツメクサにはごく稀にだが五葉以上のものも存在する。名前がついたのは四枚目までだが。
「三枚で折角完成してたのに、四枚目がくっついた。何で『幸運』なんて名前がついたのか知らないけど、どう考えても不要だろう? だから『異端』だよ」
……抑えられない。
不意にイシトはそう思った。
眠らせていた黒い感情のさざ波がうねる。どうにか静めようと、とにかくぽつぽつと言葉を紡いだ。
ややあって、シクザールの声がした。
「イシトは、面白い解釈をするね」
「それはどうも」
取り繕うように笑みを浮かべて顔を上げる。
「そうだねぇ……」
シクザールは少し遠くを見るような目つきをしていた。
「アンタが本当は何を言いたがってるのか、オレにはわからないがね。少なくとも四枚目がいらないとは思わんね」
イシトは思わず目を見開いた。
「何でさ? ただの偶然で生まれた、いわばおまけなのに」
「そこだよ少年」
シクザールは足を投げ出したまま片膝を立てると、はるか遠くの空を見つめた。
つられてイシトも空を見上げる。
ただひたすらに青い空。深い深い、きっと遥か先は海よりも深く青いであろう紺碧の空。
その青をなんとはなしに眺めていれば、言葉は静かに耳に馴染んだ。
「おまけだろうがなんだろうが、それはたしかにそこにあるんだ。しかも『幸運』だよ? そんないい名前もらってさ。祝福されて生まれてきたに決まってるじゃねぇか。だいたい、もし不要な物ならそもそも名前なんてつかないんじゃねぇのかい」
イシトはうつむいた。
ずっと握っていた剣を手放し、その手のひらを固く握り込める。そうしなければ手の震えを収められそうになかった。
「君は……面白い解釈を、するね」
深くうつむいたまま辛うじてそう呟く。先ほどの相手の台詞そのままだ。ただ声が震えないようにだけ全精力を傾けた。
「そいつはどうも」
シクザールはというと、同じく真似をして返してくる。イシトが顔を上げると、にやりと含みのある笑みを浮かべていた。
イシトもつられて同じように口元を歪める。それで少し落ち着いた。
「その葉を大事にするといいよ、シュニ。……できればずっとね」
イシトは破顔した。
信仰と希望と愛。そして幸運。
お互い長い人生の上で、ほんの少し道を交えただけの相手だ。……だが、それでも。
それでも願わくば、この愛すべき友人が、たくさんの幸運に恵まれますように。
「さて、そろそろ帰ろうか。もうここにいても意味はなさそうだ」
「え、でも……金どうすんだよ?」
「今日は僕が立て替えておくよ。ヤトさんとグラッドの稼ぎを合わせれば、次の町ぐらいまでは持つだろう」
まあこのくらいの幸運は早速降ってこないとね、とイシトは付け加えて笑った。
「うっそ!? マジで!?」
「言っておくけど立て替えるだけだからね。ツケだからね。そのうちちゃんと返すんだよ」
「オーケーオーケー! ……あ、何なら今夜にでも倍にして返してやるけど?」
「それ本気で言ってるなら、明日の朝日は拝めないと思えよお前」
そんな他愛ないおしゃべりをしながら、二人は帰路に着いた。……薬草は案の定ほとんど売れなかったが、それはさほど気にならなかった。
……言えないこと。抱えたこと。そんなものも皆みんな、いつか思い出という名の杖に変わる時が来る。そう思えた、穏やかな日の午後のことだった。
*****
その後集合した四人は、滞りなく宿の支払いを済ませ、村を後にした。……道中何度かいなくなりかけたシクザールを、その度イシトが鬼の形相で連れ戻したのは言うまでもない。
(おしまい)
・でもオトコマエな狼君が書きたい(笑)
・イングは来月ということで!
・そういえばイシトは狼君のことどう思ってるんだろう
はい。というわけで、大変珍しい出来になりました。イングとイシトの出会い話でもあります。
……本物の狼君は、こんな喧嘩売るような真似しないと思いますが(笑)
しかもイシト仕様なのでうだうだぐだぐだ長ったらしいですが、ご容赦を。
(でもごめんなさい、時間なかったのでリメイクなんだこれ……!)
草さんハッピーバースデー!
凱旋を心よりお待ちしておりますぞ!
敵わないな、と思うことは人生において多々あることだ。仕事しかり、勉強しかり、遊びしかり。ソレンティア風に言うならば、たとえば総合魔法科の僕は、各々の魔法においてはそれを専攻している学科の人間には到底敵わないだろう。そうでなくとも、ほんのささいなことでこの人には敵わないと思うことは日常茶飯事だ。……まあだからといって、どうというわけでもないのだが。
僕が間借りしているケセド男子寮は、その特質からか物静かな住人が多い。少なくともトラブル続きのゲブラーや暑苦しい奴の多いネツァクよりはよほど静かだ。……にも関わらず、僕の部屋の周囲はいつもそれなりに賑やかだった。というか、実は向かいの部屋がことのほか騒がしいことに気がついたのは入学してしばらく経ってからのことだった。まあ決して部屋主のせいだけではないのだが。
暇つぶしに訪ねた午後。その部屋主のリドリムはというと、ぶつぶつぼやきながら山積みにしたクッションの上で伸びていた。
「まったく……あのかかと落としはどうにかなんないのかね」
「ならないねえ。話を聞く限りでは」
「……お前にフォローを求めた俺がバカでした」
ぼやいていたリムは、むくりと起き上がるとまたそのままクッションの上で丸まった。……狼系の獣人のくせに、そういうところはなんだか猫のようだ。
「何だよ、パートナーをちゃんとしつけない君にも原因があるじゃないか」
「アレをどうやってしつけろと!?」
「いや僕会ったことないし」
「むう……」
ふてくされたように、リムは尻尾をぱたりと右から左に打ち鳴らした。いや、犬科なら尻尾を動かすのは喜びの表現だっただろうか。
僕は構わずに、淹れてもらったコーヒーを口にする。……リムは見かけによらずコーヒーを淹れるのがうまい。おかげで僕は、喉が渇くと大抵ふらふらとここに足を運んでしまう。たかがコーヒーだが、どうせならおいしいものを飲みたいのは僕だけではないはずだ。断じてたかっているわけではない。
すると、そのリムが腕の隙間からじっと僕を凝視していることに僕は気づいた。
「何だい?」
「……そういえばさ」
「うん」
「今日の競争。本気で走ってなかったよな」
そう言われて、僕は記憶をたどる。
たしかに今日の午後は徒競走があった。来週行われる寮対抗の体育祭のためだ。それで、寮ごとに別れて一通り練習させられたのだ。特に徒競走は何度か走らされた。
「ああ……うん。そうだね。よくわかったね」
「走り終わった後、全然息乱れてなかったからさ」
僕の五十メートル走のタイムは、七秒六。別に狙ったわけではないが、これは日本という国のごく平均的な男子高校生の記録より、少しだけ遅い。日本人どころか色んな人種がいるソレンティアでは、平均どころか大分遅いだろう。まあ彼の言うとおり全力疾走した覚えはないから、本気で走ればきっともう少しくらいは速いだろうが。
「何で?」
「何でって、面倒だから」
僕がこともなげにそう言うと、リムは大げさに肩をすくめた。
「あ、やっぱり」
「練習で本気出すこともないだろ。もっとも、来週も本気で走ることなんてないだろうけど」
すると彼はなんとなく困ったような顔をした。
「本番ぐらい真面目にやろうよ……」
「嫌だよ、面倒くさい」
「それ、理由になるのか?」
「僕にとってはね。それに、本気で頑張ったりしたら、よくも悪くも周りがうるさいじゃないか。適当でいいんだよ。……終わり」
「それは自意識過剰だと思うけどなあ……」
歯切れの悪い物言いにややいらついて、僕は乱暴にコーヒーをあおった。
「いいんだよ、形だけで」
寮対抗の体育祭なんてものはつまり、学生たちのコミュニケーションを図るための行事だ。行事なんだから、一学生としては当然真面目に参加すべきものなんだろう。だが、自慢ではないが、僕は学園生活というものに真摯に向き合った覚えなどついぞなかった。それはソレンティアに入学する以前からずっとそうだった。……何故なら僕にとっての学園生活とは、一日二十四時間の時間割の中の一コマでしかなかったからだ。適当にその場にいて、ある程度は参加しているという体裁が調えばそれでいい。それが一番目立たない。
「まあいくら僕でも完全にサボる気はないよ。ただ体育祭なんて、人数合わせに呼ばれるくらいがちょうどいいんだ」
「……それも、適当に?」
「そう。頭いいね、君」
僕はにっこりととってつけたように笑ってみせる。
するとリムは、小さく眉間に皺を寄せた。……少なくとも僕はそんな気がした。
そして彼は唐突にこう言った。
「イングは……俺の相方だけどさ」
「うん?」
「イングは、面倒くさくても、わめきながら走るぞ。『情熱的ー!』とか言って」
「何だいそれ?」
しかし僕の問いには答えず、リムはぽつりと呟いた。
「ま、人それぞれだけど」
「そうだよ」
僕はしっかりと頷いた。
「人それぞれ。君の言うように、世の中には色んな人がいる。……君ならわかるだろう。自分の価値観を信じて行動すると、僕みたいなのに利用されてしまうよ。気をつけなきゃ。……ごちそうさまでした」
カップを置いて僕は立ち上がる。……色んな意味で、世界が違う。輝かんばかりの眩しい青春を送っている彼と、ただ日々を漫然と生きる僕。……ここいらが潮時だろう。彼と僕の、薄っぺらな友情の。
「……あのさ」
小さな声がかかる。横目で振り返ると、リムは相変わらず腕の隙間からじっとコチラを見つめてきていた。視線が絡み合うのがなんとも気まずい。
そして彼はぽつぽつとこう言った。
「本気で他人を利用しようとする奴は『利用する』って単語を自分で口にはしないと思うぞ。だいたい、自分の価値観自分が信じないでどうするんだよ」
「え……」
絶句した僕をよそに、リムはそのきれいな新緑色の瞳を僕に向けてくる。
「お前の価値観は、正直俺にはわかんないよ。だけど、お前が俺にとって有害な人間かどうかはまた別の話だろ。そんでもって、それを判断するのは俺であって、お前じゃない。……だから」
「だから?」
リムはなんともいえない顔でこう言った。
「えっと……喉が渇いたらまた来いよ」
「善処はするけど、確約はできないかな。僕もそこまで恥知らずじゃないから」
「そうか」
リムは立ち上がるそぶりも見せずに、ただ口元をゆがめて笑った。
僕は後ろ手で部屋の扉を閉める。数歩で自分の部屋の扉に手をかけるが、不意に振り返って今閉めた扉を蹴り飛ばしてやりたい衝動にかられた。……じっとりと心にのしかかる重苦しい何かが、そこはかとなく不愉快だった。
翌日は召喚魔法担当のルウェル先生に捕まってしまい、したがって僕はリムの部屋へ行くこともなかった。彼の言葉が魚の小骨のように喉にひっかかってはいたが、そもそも行く理由がない。お互いの価値観の相違について語り合う気も毛頭ない。
そして翌々日。午後の授業は全て休みで、代わりに体育祭のリハーサルを行うことになっていた。ケセド・ティファレト・ネツァク。そしてゲブラー。……そこは、リムのパートナーのいる寮だった。
グラウンドには走り幅跳びや反復横とびなどのコースがあちこちにセットされていた。測定係の生徒が適当に呼ぶ声に従い、一つの寮から一人ずつ、つまり四人ずつで測定する。徒競走は五十メートルだけらしく、トラックを横切るように引かれたスタートラインとゴールラインの間隔は短かった。
「リードー!」
どこからか明るい声がした。
僕に話しかけようとしていたリムが、やむなくといった風に振り返る。
現れたのは、リムと同じく狼の少年だった。リムより一回り小さい。そして彼は、走ってきたそのままの勢いでラリアットをお見舞いした。
「とりゃっ!」
「ぐはぁっ!?」
「えへへ、リハーサル一緒だねえ!」
「げほっ……お、おう。よかったなイング、かけっこがあるぞ」
「おおう! 今日は走っちゃうぜ!」
じゃれつき始めた二人を尻目に、これ幸いと僕は踵を返す。しかし、それを見逃してくれるリムではなかった。
「イング、待った。イシトに用があるんだ」
「へ?」
流れるような連続技でそのまま首に抱きつきかけていたイングは、そこでようやく僕に気がついた。
「ありゃ、これは失礼をば」
「いいえ、お構いなく」
僕がとってつけたような笑みを浮かべると、イングもにっこりと笑った。子供の笑顔だ。
「イシト、これがイングな。イング、これはイシト。向かいの部屋の住人だよ」
「ほほう!」
なんだかいちいちオーバーリアクションなイングは、その大きな目をぱちくりとさせて言った。
「初めまして、あなたのイングリットです。よろしくねイシトちゃん!」
「……はい?」
「イ、イシトちゃん……!」
顔を引きつらせた僕をよそに、リムが肩を震わせているのが見える。
「……リム。ぶつよ」
「イシトちゃんはリドと仲良しなのですな!」
拳を固めた僕をよそに、イングはのほほんと呟いている。それを聞きとがめ、僕はとってつけたように笑った。
「よくはないよ。むしろ悪いんじゃないかな」
「へ?」
イングが目をしばたたかせる。そして、それを聞いていたリムは少しだけ目を細めた。
「……なるほどな」
「わかったかい?」
「わかった」
何をどうわかったのかは知らないが、リムは小さくそう呟くとそれきり押し黙ってしまった。きっと勝手に失望したのだろう。
「うに? どうかしたの?」
かわいそうに、何も事情を知らないイングが、きょとんとして僕たちをかわるがわる見比べている。
すると、そのイングに救いの手を差し伸べるかのように、測定係の声がした。
「次、イングリット=ウィーグ! ……って、イング、どこだよ!?」
「あっごめん! ここでーす!」
弾かれたようにイングは声の主を振り返って手を振る。すると律儀に手を振り返した測定係は、手に持った記録用のパネルを覗き込んでこう叫んだ。
「えーと、ケセドは……イシト・シャムロック!」
「え……!?」
僕は思わずイングと顔を見合わせた。
「むう、イシトちゃんと?」
どんな問題があるのか知らないが、イングはやや複雑そうな表情を浮かべている。すると、今まで黙っていたリムが口を開いた。
「そうか、イングとイシトか……」
そう小さく一人ごちると、リムはわざわざ僕を見つめて言い放った。
「イング。本気で走れ」
自分の顔が強張るのが、手に取るようにわかった。
「はい?」
イングが困惑したようにリムを振り返る。
「だからさ、本気で走ってやれよイング」
「いや、言われなくても本気で走るけど。何で?」
きょとんとして、イングはリムの顔を覗き込む。すると、リムはイングはなく僕に向かって薄い笑みを浮かべた。
「イシト。イングは速いぞ。お前が本気で走っても、勝てやしないよ」
「……だから?」
僕は努めて冷静に言ったつもりだったが、不快感は隠しきれなかった。どうしても言葉尻に冷ややかさが混じる。
リムはというと、それきり僕には応えず、ちょろちょろしているイングに向かってこう言ってのけた。
「一昨日のイシトの記録は、七秒六。お前のベストタイムは六秒三だったよな~。……突き放してやれよ、イング」
僕たちが絶句する中、リムはそれ以上何も言わずにくるりと踵を返すと、ゴールラインの方へと歩いていってしまった。
しばらく僕は何も言えなかった。イングも、唖然として立ち尽くしていた。
「ちょ……イシトちゃん、一体何したの!? リド不機嫌だよ!」
「僕が知るかよ!」
「だってリド、いつもはあんな言い方しないよう!」
「だから知らないってば!」
僕たちが思わず上げた悲鳴交じりの声をさえぎるように、しびれを切らした測定係の怒号が飛ぶ。
「二人とも、早くしろよ!」
「きゃあ!」
慌ててイングがばたばたとスタートラインへ走っていく。僕はため息もつけずにつかつかと歩いてその後を追う。……口の中が苦い。ひどく不愉快だった。
リムは、僕がイングに勝てないと決めつけている。それはおそらく事実であり、普段の僕ならそんなこと露ほどにも気にしないだろう。それなのに、リムの人を小馬鹿にしたような笑みが、今日は氷柱のように僕の心に突き刺さる。
その氷柱を溶かすように、ふつふつと怒りが熱く湧き上がる。久々に感じるそんな力強い感情は、むしろ高揚感にも似ていた。
リムが気になるのか、眉間に皺をよせたままとんとんとつま先を地面に打ち付けているイング。その隣に立ち、僕はふうっと息を吐いた。
リムの言い捨てるような声音が、まだ耳に残っている。いつも穏やかだった声が、今日は言葉の裏で僕をなじる。それはひどくいまいましいことだった。
測定係が短く笛を吹く音がする。それに合わせ、僕たちは手を地につく。冷たい土の感触を指に感じていると、どこか遠くの方から、とっくに忘れ去ったはずの感情の波が満ち潮のように僕の胸に戻ってくる。……不愉快だった。いまいましかった。それとともに湧き上がる怒り。その正体を、僕は本当は知っているんだ。
……『悔しい』だ。
そう認めた時、僕は半ばフライング気味にゴールめがけて走り出していた。
「おおっ!?」
出遅れた隣のイングが、それでも急加速で躍り出て横に並ぶ。僕もさせじと速度を上げる。背の高さの分僕の方がリーチが長いはずだが、振り切れない。
ただ、夢中で……無我夢中で、僕たちは横に並んだまま、何もかも吹き飛ばすかのように、たったの五十メートルを駆け抜けた。
「ハア、ハア……!」
ゴールラインを大きく割って、僕たちはそろって地面にへたり込む。たった数秒走っただけなのに、息が切れて仕方がない。下手をしたら足もきっとひきつっている。
「ハア……」
ふと、隣のイングと目が合う。すると、彼はぱっと飛び起きた。
「すごいや……!」
「は?」
「すごいよイシトちゃん、人間さんなのに速いねえ! 僕ブーストかけたのに抜けなかったあ!」
「ど、どうも……」
きらきらと目を輝かせて、イングは身を乗り出して迫ってくる。思わず僕が座ったまま後ずさりすると、不意に頭上に影が差した。
「おめでとう、二人とも。ベストタイム更新だぞ~。……イシトは特にね」
耳に優しい、穏やかな声がした。
「え、更新? いくつだった?」
イングが後ろ手に地面に両手をつき、声の主を見上げる。リムは、その尻尾をぱたりと一つ揺らして答えた。
「六秒ジャスト。二人とも」
……僕は、思わず耳を疑った。
「……は?」
「いやっほー!」
イングが躍り上がってガッツポーズを決める。対する僕は、呆然と座り込んだままだった。
「六秒、ジャスト……? 誰が……?」
「お前が。……どうよ、切磋琢磨するのも悪くないだろ?」
そう答えたリムの声はいつものようにけろりとしていて、そこで初めて僕は彼の掌で踊らされていたことに気がついた。
「……はめられた……」
がっくりうなだれると、リムはこともなげに言った。
「言っとくけど、俺は何もしてないからね。お前が自分で本気になっただけ」
「それを本気で言ってるなら、君も大した性悪だね」
「底意地の悪い奴に言われたくはないなあ。……どうですか、全力疾走した気分は?」
「おかげさまで、爽快だよ。まあ、本気になるのもたまには悪くない」
皮肉を込めて、はあ、と大げさにため息をつく。……それだけで、たったそれだけで、あれほどすさんでいた心が、みるみるうちに落ち着いていく。口元にはむしろ笑みさえ浮かんだ。……悪くない。本当に、ごくごくたまには悪くない。
「たまにはか」
苦笑したリムは、不意にすっと一歩後ずさりした。
「それじゃ、ちょっくらやみつきにしてさしあげましょうかね」
「え?」
それってどういう、と言いかけた僕をさえぎるように、測定係の声が飛ぶ。
「リドリム・リジェイ! 早く!」
「っとと!」
思わせぶりな言葉を残して、リムは小走りにスタートラインへ走っていってしまった。次はリムの走る番なのだ。
残された僕は、じっとその癖っ毛を見送りながら呟いた。
「ねえイング……ひょっとして彼、速いの?」
すると、イングはにかっと満面の笑みを浮かべた。
「速いよー! リド、僕より速いもん!」
僕は思わず目をむいた。
「嘘だろ!?」
「ほんとだよ。だって僕、二回しかリドに勝ったことないし」
「し、信じられない……」
僕が知っている普段のリムの仕種は、その声と同様なんとなく穏やかだ。足が速そうにはとても見えない。少なくとも、元気の塊のようなイングより速いなんてとても思えない。
そうのろのろと考えたその時、測定係の笛が鳴った。
その音に我に返って、そして見たリムは、まるで風のようだった。
測定係が、ストップウォッチを切ってこう叫ぶ。
「五秒六!」
僕は思わず目をしばたたかせた。
「は、速っ……!」
「おおーっ、六秒切ったあ!」
隣のイングが、身を乗り出して歓喜の声を上げる。
リムはというと、ゴールした足でそのまま僕たちの方に走ってきた。
「どうだった?」
「五秒! 五秒六! すっごいね、また速くなってるう!」
「俺も負けていられませんから」
軽く息を弾ませたまま、リムは口元をほころばせる。
「……それで、どうだよ、イシト?」
「いや、ほんとに……敵わないね」
心からそう呟いて、僕は苦笑する。リムは一度大きく瞬きすると、にやりとなんとも意地の悪い笑みを浮かべた。
……ああ、と僕は内心嘆息した。失笑とともに肩の力が抜ける。……敵わない。本当に、たくさんの意味で、彼にはとても敵いそうにない。
だがその脱力感は、なかなかどうして心地よいものだった。……そう、五月の、草原を渡る風のように。
散文です。
(そんでもってBL注意です)
イシトもたまにはけじめつけるといい。
いつ出会ったのかなどいちいち覚えていない。
ただその体躯と、それすら小さく見えるほどの巨大な剣に見惚れたのを良く覚えている。
自分がひどくか弱い存在に思えたものだ。
そう縮こまると同時に、心のどこかで安堵した。
こんな大きな人がいるなら、自分など小さくて当たり前だと。
そういった意味では、無理に背伸びをしなくて済む人だった。
おかげで、無駄に甘えが出てしまったのも事実だが。
僕が言うのもなんだが、恐ろしく察しの悪い人だった。
何の飾り気もないまっすぐな言葉がいかに大切かを、身を持って教えてもらった(笑)
いや、余計なことは憎たらしいほど見透かしていたから、ひょっとしたらあれは何も気づいてないふりだったのかもしれない。
だとしたらとんでもない悪党だ。
察しが悪かったのは僕も同じで、やがて僕は自身の人の見る目のなさを嫌というほど後悔することになる。
そのままなんとなく離れたけれど、それは決して不自然ではないと思いたい。
でなきゃ、下心を抱えて近づいたみたいだ。
……まあ、十中八九誤解しているだろう。
それを今から正しに行く勇気は持ち合わせていないが。
頭を撫でてくれる大きな手が好きだった。
僕の太刀など軽く流してしまう力強い腕が好きだった。
穏やかな瞳の裏にある獰猛な光を、僕は暴き立てたくてたまらなかった。
それも全て昔の話だ。
つたなくてもいい。
言葉がいかに必要なものか、嫌というほど教えてもらった。
だから、多分次はうまくやれる。
僕は、言葉を与えられるだろう。
あの切なさが消えたわけではない。
ただ、あの懊悩とした気持ちは憧れにまで昇華できた。
それは父親に抱く感情にも似ている。
だから、僕は大丈夫だ。
今度はしっかりと忘れられる。
お話にもならない、あまりにも子供じみた恋を。
そんな繰り返しでも、日々は確実に過ぎ行く。
薄紙を一枚一枚剥ぐように、ほら次の季節がやってくる。
今までのことは全部、僕の中に詰まってるんだ。
思い出とは、川底の流れない重石。
思い出とは、崩れそうになる足を支える杖。
たとえ僕に翼がなくても、僕らは空でつながっている。
たとえ声が聞こえなくとも、僕には君の言葉がわかる。
恐れるものなど何もないだろう。
ほら、明日が呼んでいる。
*
イングがめでたく四年生になったので、アニメの「希望に満ちたEDそして次回!」みたいな感じで(何)
イングのつもりですが、イシトでもよいように書きました。
イシトはちょっと無理があるかな……(苦笑)
でもちょっとは幸せにしてやりたい。